京都市中京区にある「京こま雀休」の主人。一度途絶えてしまった伝統工芸「京こま」を復活させた。京こまは安土桃山時代に宮中の女性たちが遊ぶ室内用のコマとして生まれたとされ、主に着物の端切れなどで作られていた。小学生のころ、家業に興味があった中村さんは父の手伝いをしていたが、中学生のころ(1980年代)、ゲームの普及など、娯楽の時代の変化が訪れ、京こまの需要が減り、家業が廃業となってしまう。年月が経ち、実家のそうじをしている時に京こまの材料が残っているのを見つけ、家業であった京こまで生活をしていきたいと思うようになる。当時は会社員として働いていたが35歳で会社を退職。見切り発車で職人としてスタートする。周りからの反対がある中、特に父からの反対が強かったが、京こま自体が日本で途絶えていることを知り、京こま復活への意識が強まった。試行錯誤の結果、お土産店でお客さんに向けた実演販売をすることで直接お客さんとふれあい、魅力が伝わり少しずつ売れていった。そんな中、京都の伝統産業の一つとして認められることに。現在は京こまを広めるべく、こま競技の選手と繋がってこまの普及に努めている。