今回のゲストは俳優の林与一さんです。
林さんは1942年生まれ、大阪府の出身です。
曾祖父は大阪の歌舞伎役者初代中村鴈治郎、祖父・父も歌舞伎役者という家系。
ご本人も1958年に大阪歌舞伎座で初舞台を踏みました。
1964年のNHK大河ドラマ『赤穂浪士』で堀田隼人(ほったはやと)を好演して脚光を浴び、一躍人気スターとなりました。
以後、「人形佐七捕物帳」「必殺仕掛人」など、時代劇スターとして数多くの映画やテレビドラマで活躍されています。
また、舞台では自身の座長公演の他、数多くの女性座長の相手役を務め、人気を博しています。
現在は、講演会やワークショップ、トークショーなどでも活躍、祖父が1951年に創始した日本舞踊「林流」の家元でもあります。
この秋から来春にかけては劇団前進座公演「雪間草(ゆきまそう)-利休の娘お吟-」に特別出演される予定。
対談では今回の公演について、また俳優として歩んだ半生の喜怒哀楽を大いに語っていただきましょう。

今回のゲストは高石のりみちさんです。
のりみちさんは8月にお亡くなりになったミュージシャンでマラソンランナーとしても知られていた高石ともやさんのご長男です。
生まれは福井県。父の仕事の関係で小学校時代の半分は京都で暮らしました。
高校卒業後はイギリス、その後フランスに留学、海外生活は16年にも及びました。
ともやさんと桂米朝、父親どうしの仲が良かったため、米團治とはお兄さん的な存在として面識がありました。実はのりみちさんは大の落語ファンで子供のころから米朝のテープを聞き込み、何席もの落語を語れるほどでした。
音楽活動は父から手伝えといわれ、家業を手伝っている感覚だったとか。
高石ともやの息子という意識はあまりなく、ミュージシャンになろうと思っていたわけでもなかったといいます。
そんなのりみちさん、ともやさん亡き後、心境の変化はあったのでしょうか。
今回は米朝とともに永く交流のある米團治と、父高石ともやさんのこと、音楽のこと、未来のこと...さまざまに語っていただきます。
