「ここにさへ さぞな吉野は 花盛り」。お隣の明国にまでその美貌と名声が聞こえたといわれる吉野太夫。その名前の由来はこの歌を詠んだことにある。太夫とは、京都遊郭で最高ランクの遊女の称号で、吉野太夫と名乗った遊女は1570年代から1680年頃まで10人いる。なかでも最も有名な吉野太夫は2代目で、わずか14歳で太夫に上りつめた。吉野太夫は信仰もあつく、常照寺に朱塗の山門を寄進し、墓も常照寺にある。
毎年桜の咲く4月に吉野太夫花供養が行われる。島原太夫が往時のきらびやかな打ち掛け姿で少女のかむろや傘持ちを従えて独特の内八文字で常照寺までゆっくりと練り歩く。道中の後、吉野太夫追善供養の法要、太夫の献茶、吉野太夫墓前供養などが行われる。 (4月26日放送)